[インプットがなければアウトプットできるものがない。]
えいごのおへや では、2年生、3年生の子たちがこんな練習をしています。
自分のことについて、100の質問に答えられるようにするための教材を使用しています。
こちらが質問文。
こちらがそれに対する回答文。
1週目はテキストに書いてある通りに。
付属CDのナチュラルスピードについていかれることを目指す練習です。
2週目は、回答を自分のことに置き換えて答えます。
3週目は、「テスト」として、テキストを見ないで自分のことを答えます。
ちなみにテストは子供たち同士で行いますので、
質問文ももちろんこの時点で読めるようになっています。
つまんない練習だなぁ~。
と思われるでしょうか。
私は英語を学習する生徒たちに、この練習はとても効果的だと考えています。
それは「文法的に正しい英語の文を、頭と体と口にしみこませることができるから。」です。
正しくない英文でのやりとり、単語を並べるだけの会話を100回繰り返すより、
正しい文をひとつ覚えたほうがよほど有効だと思っています。
一度自分が覚えた定型文は、あとから単語を入れ替えたり、少しアレンジすることで、使いこなしていくことができるのです。
実際、私も、ずーっと昔のそのまた昔、中学生の頃に覚えたスピーチの文章が
今でも残っていたりします。
そして子供たちは、こちらが思うよりもずっと速いスピードで、
こういった定型文を覚えていきます。
いったん覚えてしまった文は、もちろん時々つつきなおしていく必要はありますが、そう簡単には抜けません。
するすると子供たちの口から出てくるのです。
それも、単語単位ではなく、「文章単位で」です。
さらに素晴らしいことは、それが「正しい」文章であるということです。
英語学習を続けていくには、いずれかの地点で必ず「ある程度の暗記作業」が必要になると考えます。
それは地道なインプット作業かもしれません。
でも、インプット作業を通らない限り、アウトプットにはつながるはずがありません。
だって、自分の中にないものを、「さぁ話してください。」と言われたって
それは無理な話だと思うのです。
えいごのおへやの生徒たちが取り組むスピーチも、
同じ考え方から私が課している課題です。
それはまた次回に。