[言葉を体得する瞬間]
今回は、保護者向けのメルマガからの抜粋です。
今年度、私は教室でのレッスンのほかに保育園での英語レッスンも実施させてもらっています。
生徒は2歳~3歳の子供たちです。
2歳の子へのレッスンは、まさに真剣勝負です。
いや、もちろん通常のレッスンも真剣ですが、その質が違います。
なぜか?
なんといっても彼らは正直です。
英語?レッスン?なんじゃそりゃ。
つまらなければ去る。眠ければ泣く。興味がなければ見ない。
そんな彼らを引きつけておき、なんだか楽しい!と思わせ、
英語への興味を高めるためには、
さまざまな手段を考えなければなりません。
小学生だったら、多少飽きても”忖度”してくれます。笑
「こら。集中しなさい!」と言えば、こちらを向いていてくれますもの。
2歳児は、忖度してくれません。
そこで私もいろいろ手だてを考えます。
「これが響かなかったらこれをやろう」
「この本がイマイチだった場合にはこの本を」
そんな風に考えてレッスンに出かけるので、
いつも私は「ひとりサーカス状態」です。
絵本にカードにボールにロープに。。。と、大量の荷物を抱えているわけです。
緊張感とたくさんの準備を要する分、子供たちが食いついてくれた時の喜びもひとしおです。
「また明日も来てね!」と言いに来てくれる子の言葉が、うれしいこと!
来るよー。絶対来るよー。(涙)
2歳の子たちは、そもそも 日本語も習得途上にある年齢です。
したがって本人たちには、英語も日本語も違いがさほどありません。
たぶん彼らにとってはどっちだって良いわけです。
そんな彼らだからこそ、「言葉を体得する瞬間」がよくわかるときがあります。
英語のレッスンというと、たいてい最初のほうに、
Here you are. – Thank you. (はい、どうぞ。-ありがとう。)をやりますね。
通常、子供たちはこんな習得ステップを踏みます。
① 私:「Here you are.」 (何かを渡す)
子供:「Here you are. 」
私:「Say, thank you.」
子供:「Say, thank you.」
そのままのオウム返しです。
② 私:「Here you are.」(何かを渡す)
子供:「….」
私:「Say, thank you.」
子供:「Say, thank you.」
何かをもらうときに Here you are. がくっついてくることに気づきます。
そうすると、自分は Here you are.を言わなくなります。
まだ Say(~と言いなさい)をくっつけて繰り返します。
③ 私:「Here you are.」
子供:「Thank you.」
Thank you. の前の、Say が取れます。
①☞②へ、そして②☞③へ進んだ瞬間、
私はこう思います。
「あ!いま、この子は気づいたな。」
そしてこの時こそ、この子供が「言葉を体得した瞬間」だと感じるのです。
日本語で考えてみてください。
皆さんも、お子さんが小さなころ、同じようなステップを踏みませんでしたか。
大人「はい、どうぞ」と何かを渡す
子「はい、どうぞ」と子供が繰り返す
大人「ありがとう、でしょ、ありがとう」
子「ありがとう」
大人「そうそう、ありがとう」
日本語の場合は、こういった機会が頻繁にあること、
また「ありがとう、でしょ」の「でしょ」にあたる Say …. の部分も、
子どもたちはお母さんが、これ以外の機会にも「~でしょ」とたくさん言うのを聞いていたり、
またお母さんの雰囲気で、
(どうやらこの「でしょ」はつけなくていいらしいぞ)と、感じたりすることによって、
「でしょ」を自分ではつけなくなっていきます。
そうやって言語を体得していきますね。
「はいどうぞ。」と言われて「ありがとう」と返す。
たったそれだけのように思えますが、そこには必ずステップがあったはずです。
状況があって、そこにくっついてくる言葉があって、それらを繰り返し経験したときに、身について使えるようになった。はずなのです。
英語のレッスンでは、その繰り返しが圧倒的に少ないこと、
また状況設定をすることが難しいという現実があります。
そのような中でも、2歳の子が、「say…」をつけなくなること、
このことは、子供自身が、何かを感じた瞬間であると感じます。
レッスンに親御さんがついていると、ちょっと違います。
親御さんは、子供がレッスンで「say, thank you.」と繰り返してしまうと、とても心配して、
「違うでしょ。thank you. でしょ。」と訂正してくださったり、あるいは
「say はつけちゃダメなのよ」と言葉で解説してくださったりもします。
でも訂正をしなくても、続けていくうちに、その子が「say」をつけなくなる時が来ます。
それは1か月後の時もあれば、半年後のこともあります。
でも来るのです。
そしてその時こそ、
「あ!この子が自分で気づいた!
Thank you. の使い方を自分で身につけたんだな。」
と感じられる貴重な瞬間だと思うのです。
日本語も英語も、またそれに限らず、言葉は人と人とをつなぐものです。
人と人が対峙すれば、そこには「温度感」や「呼吸」や「表情」や「間」が生まれます。
それらを肌で感じながら、その中を介在する「言葉」を知っていくこと、使っていくことこそが、
言語の体得であると考えます。
他者との関わりを通して、自己を表現しながら同時に、相手を感じ、読み、思い、意思をつなぐ。
そうやって、自分も相手も大切にできるコミュニケーション手段として、
言語を学んでいってほしいなと願っています。